こんにちは。
三瀬診療所 西です。
私も10/17・24に行われた緩和ケア研修会に出席しました。
研修の内容はオピオイドや鎮痛補助薬の使い方、副作用対策に加え、心のケアやコミュニケーション、地域連携についてなど幅広いものでした。
大学や県立病院の総合診療部や専門診療科で働いているころ、地域の二次病院で働いているころにもそれぞれ『がん』の患者さんを担当してきましたが、今地域の診療所に働く立場で『がん』の患者さんをあらためて診ていると、大きな病院に勤めているときとは違った問題点にぶつかることも多く、今回の研修会は参考にな る点がとても多かったように思いました。
大病院の外来、病棟は急性期の患者さんであふれ、その中にあって「もう打つ手がない」と判断された患者さんが、「主治医に見放された」という思いになることがないよう、また地域でも質の高いケアが提供できるよう、きちんとした連携が必要だと再確認しました。
ある一般市民です。
返信削除「もう打つ手がない」と判断された患者さんが、「主治医に見放された」という思いになることがないよう
にするにはどうすればよいのだと先生は思われますか?
是非お教えください!
大病院で行われる急性期の治療も、かかりつけ医が行っていくケアも、用いる手段は違えど、病の状態と患者さんやご家族の意思を確認しながらよどみなく行われるものだと思っています。
返信削除「打つ手がない」という判断は「病に勝つ」ということが前提にあるものだと思いますが、人はいつか何らかの病を持ち、何らかの原因で最期を迎えます。
たとえ医学で打ち負かせない病であっても、その方らしく生きることはできると思いますし、病に勝つ治療が困難になった時こそ、地域のかかりつけ医にうまくバトンタッチしていただければと思っています。
理想論かもしれませんが、理想なくしてはやっていけませんので。
三瀬診療所 西
ある一般市民です。先生、お忙しいのにご回答頂き、ありがとうございます!
返信削除>「打つ手がない」という判断は「病に勝つ」ということが前提にある
>ものだと思いますが、人はいつか何らかの病を持ち、何らかの原因で
>最期を迎えます。
>たとえ医学で打ち負かせない病であっても、その方らしく生きること
>はできると思いますし、病に勝つ治療が困難になった時こそ、地域の
>かかりつけ医にうまくバトンタッチしていただければと思っています。
先生の言われるとおりです。先生はよくご理解頂いていることがわかりました。でも、多くの医師達は、「病に勝つ」ために「打つ手がない」という判断を下し、かつ、いつか必ず亡くなる患者を前に、「治せない」ことを患者に告げず、最期になくなるまで漫然と治療を続けていくのです。もしくはその後を他の医師に丸投げしてしまうので、患者は「見放された」と思うのです。いつか必ず人間はなくなるということを理解した上で、どういう最期をその人らしく迎えることができるのか一緒に考えてもらいたいと思うのです。治療だけを最期まで追求していくだけでは、そのような医療はできないと思います。「たとえ治せなくても最期まで患者を支える医療」がそのようなときに求められるのではないでしょうか?