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2011年3月17日木曜日

大震災に際して1


今回の大震災にて被災した方々には心からのお見舞いを申し上げます。
私も6年前の福岡西方沖地震の際に被災地医療を行った経験がありますので今回はその経験について少し書かせていただこうと思います。
 
〜福岡西方沖地震〜

2005年3月当時、私は福岡の玄界島の診療所で一人院長として勤務しておりました。僻地医療を支えるために2003年の4月から医局からの命をうけての出向でありました。そして平和に二年の月日が流れようとしていた3月20日にあの大地震が島を襲ったのです。島は燦々たる状況で、多数の住宅が傾き、倒壊した家も少なくありませんでした。本土とは比べ物にならないほど住居の被害が大きく、間違いなく本土よりも強い揺れが島を襲ったのだろうと思われました(島に地震計がなく推測でしかないのですが、、、)。地震当日のうちに、全島民避難命令がかかり、全島民は体一つで本土に渡り、福岡市の九電体育館に避難することとなりました。当時の島の人口は700人程度であったと思います。それが、いつ終わるともしれない九電体育館での避難所生活の始まりでした。
私は、妻と1才になったばかりの娘を実家に返し、島民とともに体育館に移動しました。移動早々、市からの要請もあり、私は体育館内で仮設診療所を開設し、避難住民の診療を始めることにしました。3/21に開設準備を行い3/22から診療開始するという慌ただしいスタートとなりました。

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